ビッグバン宇宙論

宇宙の外には何がある? 宇宙の始まりの前は?

早稲田大学教育学部教授 大師堂 経明


目次

1.はじめに

2.ビッグバン宇宙論の舞台

3.宇宙の果てへの旅

4.宇宙の半径はなぜ有限か?

5.宇宙の年齢はなぜ有限か?

6.時間に端があるか?

7.ガモフのビッグバン宇宙論

8.定常宇宙論

9.中古アンテナで立証したビッグバン理論

10.宇宙背景輻射の起源

11.光速度の有限性

12.ペンジャス、ウィルソンの14年前に日本で

13.残された難問――銀河ができない


1.はじめに (目次に戻る)

ビッグバン理論は現在一番広く受け入れられている宇宙論である。 それは、今から100億年から200億年の昔に起こった爆発によってこの宇宙が 始まり、引き続く宇宙膨張の歴史の中で素粒子や原子、分子、銀河、 星、生物、人間・・・が創られたと主張する。 しかし宇宙に始まりがあるといわれると、そのもっと昔には何があったかと たずねたくなる。また宇宙の半径が150億光年といわれると、 その先には何があるのか、それとも空っぽの空間かと当然考える。
ビッグバン宇宙論では宇宙の始まりを時間の端と考える。 端のある時間というのは何とも気持ちが悪い。 実に落ち着かない。しかし、天文物理学者の多くはビッグバン宇宙論に 賛成している。それは、動かしがたい証拠、ビッグバン直後の実況生中継を 見せつけられたからである。これが後に述べるペンジャス(A.Penzias)と ウィルソン(R.Wilson)によって発見された2.7K宇宙背景黒体輻射である。 ビッグバン宇宙論は、第二次体戦後にガモフ(G.Gamow)が提唱した理論である。 これに対立する理論として定常宇宙論があった。 このような状況でビッグバン宇宙論がどうやって受け入れられることになったか、 そのお話をしよう。

2.ビッグバン宇宙論の舞台 (目次に戻る)

ビッグバン宇宙論の理解は登山にたとえることができる。 汗を流して登り詰めれば視界が開けて、あの町とあの村は曲がりくねった 谷筋の道で結ばれているが、峠の下にトンネルを掘ればすぐ近くなのだな、 などということがわかる。 個別に見えていた物の間の関係が、全体の大きな枠の中に位置づけられて 手にとるようにわかってくる。 天文学や物理学の面白さはこういう所にある。 しかしこういう喜びを味わうには、ある程度の覚悟が必要になる。 装備と訓練なしに登山には登れない。 登山口には次のような立札が立っている。
ビッグバン宇宙論を支える観測上の証拠はたった3つである。 (1)遠方の銀河ほど、大きい速度で遠ざかるというハッブルの法則、 (2)宇宙を構成している元素のうちヘリウムの量が、宇宙初期の高温・ 高密度がないと説明できないくらい多い、そして (3)宇宙背景輻射の観測、 これだけである。これだけの事実からビッグバン宇宙論が正しいと結論するには、 舞台の設営と役者の紹介をまずしなくてはならない。

3.宇宙の果てへの旅 (目次に戻る)

さあ宇宙の果てへ旅立とう。あちこちを巡って宇宙の果てまで行きつけば、 この世がどうして生まれたかもわかろうというもの。空間が曲がったり、時間 に端があったりといった難所もあるが、我われ人間には知恵がある。見えない ところは推論し、推論の正しさは実験で確かめて1歩1歩進んでいこう。
私たちは今、富士山の北側から南の空を眺めている (図1)。 これからしだいに高く昇って行き、 太陽系、銀河系、おとめ座銀河団・・・・といった我われ をとりまく宇宙の構造を見ていく。始めのうちは背景にある天の川の形が全然 変化しないことに注意しよう。我われの見る位置を、月、火星、冥王星、シリ ウス・・・と変えていっても、きわめて遠方にある天の川の大きなスケールに 比較すれば我われの位置の変化はないに等しい。童謡"汽車"にでてくる 「遠くに見える村の屋根、近くに見える町の軒」の関係である (図1図2図3図4図5図6図7図8図9図10図11図12図13図14図15)。

4.宇宙の半径はなぜ有限か? (目次に戻る)

光速度が無限大でないために、 もし宇宙に始まりがあったとすると宇宙の大きさは有限である。 これは宇宙が膨張していなくても言えることである。 ただしその場合には、ある瞬間に同時に無限に広い宇宙をつくっておきながら、 宇宙の大きさが有限というのは矛盾のように思えるがそうではない。 その宇宙のある観測者にとっては、 宇宙開びゃくからその時までに経過した時間に 光がやってこられる範囲がすべてである。 その外では何が起こっても、観測者には影響しない。 これが宇宙のハッブル半径の定義である。 時間がたてば、より遠方からの光が到達できるのでハッブル半径は広がっていく。 また違う場所にいる観測者は、互いに異なる領域を自分の宇宙とみなす (図16)。 光速度が無限大でなく有限で、宇宙年齢も有限なために宇宙の半径が有限になる。

5.宇宙の年齢はなぜ有限か? (目次に戻る)

それでは、この宇宙の年齢はなぜ有限なのだろうか。 それはハッブル膨張とよばれる宇宙の膨張が観測されているからである。
1922年から31年にかけてハッブル(E.Hubble)はウィルソン山の100インチ鏡を 使って銀河の分光観測を行った。 銀河を構成している星は元素に特有な波長の線スペクトルを示す。 銀河が遠ざかりながら光を出すと、その波長は長い方へのびる。 そののび具合を観測すると銀河の後退速度がわかる。 一方、銀河の中にはケフェリウス型変光星がある。 変光の周期とその星の本来の明るさの関係が この種の星についてはよくわかっている。 したがって単に変光周期を観測すればその星、 すなわちそれを含む銀河までの距離がわかる。 変光星が使えないほど遠方の銀河については、 球状星団などを使って距離を決めた。 こうして多くの銀河を調べた結果、 遠方の銀河ほど大きな速さで遠ざかっていることがわかった。
図17 が示すように、銀河の距離と後退速度は比例している。 同じ時間の間に、2倍の速さの銀河は2倍遠くに到達でき、 3倍なら3倍遠くへ到達することができる。 だからすべての銀河は同時に1点から広がり始めたはずである。 広がり始めから現在までの時間は、 地球からある銀河までの距離を後退速度で割り算すれば得られる。 それは150億年である。 これが宇宙の年齢になる。 実際には銀河の距離の決定には誤差がつきまとうため、 宇宙年齢としては100億年から200億年の間と考えるべきである。

6.時間に端があるか? (目次に戻る)

ハッブル膨張を過去に遡って150億年という宇宙年齢を得たが、 これは深刻な問題を引き起こす。 時間の端を宇宙の始めに持ち込むことになり、 それ以上の過去は存在しなくなってしまう。 日常生活からは時間の行き止まりは考えにくいが、 アインシュタイン(A.Einstein)の一般相対論はそれを可能にする 枠組みを用意している。 しかし時間の行き止まりを本当に避けられないものと認識するには、 1916年の一般相対論の誕生から半世紀近くの試行錯誤の期間が 必要であった。
1922年にはソ連のフリードマン(A.A.Friedmann)が一般相対論をもとに 膨張宇宙のモデルをつくった。 彼は現在の膨張以前には収縮期があって宇宙は振動していると想像した。 後にビッグバン宇宙論を展開するジョージ・ガモフは 彼から相対論を教わっている。 ガモフの啓蒙書にはフリードマンの振動宇宙モデルが描かれ、 振動宇宙は有名になった。 このモデルでは本当に密度が無限大になることはないと考える。 しかし収縮する宇宙が膨張に転ずることの理論的証明は、 多くの努力にもかかわらず誰にもできなかった。
当時の大御所のアインシュタインは、この問題を深刻には受けとらなかった。 アインシュタイン自身はボルツマン(L.Boltzmann)に従って、 時間には本来方向性がないと主張したり、相対論にあらわれる 新しい時間・空間を使って宇宙モデルを組み立てたりするほどの 柔軟性を持っていたにもかかわらず、 時間の端の問題には手をつけていない。 一般相対論を建設し、重力を時間・空間の曲がりで表現した アインシュタインにとっても、 密度や温度が無限大になる宇宙の始めのような極端なところにまで 理論が適用できるかどうかには不安があったのだろう。
密度・温度が無限大の宇宙初期では、時空の曲がり方がきつすぎて とんがってしまう。 これを数学では特異点という。 宇宙の開始、時間の端の問題が数学的な特異点の問題として ペンローズ(R.Penrose)やホーキング(S.W.Hawking)により厳密に研究されたのは ずっと後の1966年である。 すでにビッグバン宇宙論は宇宙背景輻射の観測により勝利を得ていた。 ともあれ、彼らの難解な特異点定理によれば、一般相対論が正しい限り まさしく宇宙の始めで時間は行き止まってよいのだそうである。

7.ガモフのビッグバン宇宙論 (目次に戻る)

「1,2,3,・・・無限大」などのすぐれた啓蒙書で有名なガモフは、核反応の理 論を精力的に研究していた。アルファ崩壊を量子力学で説明するトンネル効果 は有名である。1946から1948にかけて彼は宇宙初期における元素合成を研究し た。高温高密度の宇宙初期に、中性子から出発して核融合反応によって全ての 元素を合成しようというのである。このような高温・高密度から出発する宇宙 論を、定常宇宙論を唱えるホイルはビッグバンと名づけた。
ガモフの先見性は二つある。一つは宇宙論に元素合成のような宇宙を構成す る物質の起源の問題を持ち込んだことである。それに対応してガモフ以前の宇 宙論は、ハッブル膨張と時間・空間の折り合いをどうつけるかといった枠組の 話が中心であった。ガモフのビッグバン理論によって、宇宙論は天井から降り てきて地に足をつけた学問となった。観測と理論を対応させながら研究を進め られるようになり、研究者が増加した。
もう一つの先見性は、当時の最先端の物理の知識を武器にして、さかのぼれ るところまで宇宙の初めに近付いたことである。元素合成が起こるほどの高温. 高密度の宇宙の初期の姿が描かれた。彼の理論はその後、星による元素合成理 論の発展により修正を受けた。しかし宇宙に存在するヘリウムの量はやはり星 だけではつくれず、宇宙初期の反応が必要なることが現在では分かっている。 彼は宇宙初期の高温状態が観測できるはずで、現在は絶対温度で5Kの黒体輻射 の発見後に脚光を浴びるのである。それについては後で再びふれよう。
ガモフの精神を引き継ぎ、今日の最先端の物理の知識をつぎこんで初期宇宙 を研究している人々がいる。これらの現代のガモフたちの研究方法は独特であ る。まず有能なシナリオライターでなければならない。登場するのは現代の素 粒子理論に登場するさまざまな理論とそれが予想する一群の奇妙な素粒子であ る。アキシオン、フォティーノ、グラビティーノ、マキシモンなど、楽譜にで も出てきそうな名前の素粒子がたくさんでてくる。
これらの素粒子が存在するかどうか確かめることは、加速器で作り出せるエ ネルギーよりはるかに高いエネルギーが必要になるから大変難しい。しかしそ んなに高いエネルギーの反応も、ビッグバン宇宙の初期にさかのぼれば、いく らでも高い温度があるからである。そこでシナリオをつくる。これこれの素粒 子が宇宙初期にあったとする。その反応は後に形成される銀河の分布にも影響 を与えるだろう。だから銀河の分布を調べれば未知の素粒子の性質に制限をつ けられるというわけである。
きのうまで格子ゲージ理論のような難解なクォーク反応の計算をやっていた 人が、急に赤外線天文衛星(IRAS)の観測結果を記録した磁気テープを計算機に かけて銀河の分布を調べ始める。こういったことが今、世界のあちこちで起こっ ている。素粒子的宇宙像とよばれる新しい研究分野である。ここでは最新の物 理の理論を宇宙初期に持ち込むというガモフの開拓者精神が現在も引き継がれ ている。

8.定常宇宙論 (目次に戻る)

現在はビッグバン理論を多くの人が信じているが, これに対抗する理論が昔あった. 定常宇宙論である. この理論では宇宙の始まりというものがないから, 宇宙初期にまつわる難問を避けることができる. 宇宙のあらゆる場所で物質がじわじわと涌き出し, ハッブル膨張で広がる空間をうめるというものである. 宇宙は永久不変であり,銀河が遠ざかっても, やがて近くに新しい銀河が涌いてくる. もっとも必要な涌き出し量はわずかで,観測にはかからない. それでは何が観測されたら定常宇宙論が正しいといえるのだろうか?
30年以上も前,提唱者のひとりであるボンディ(H.Bondi)は 次のように述べている. 「遠方の銀河は昔の姿を示している. 定常宇宙論では今も昔も同じだから,遠方の銀河も近くの銀河も違わない. 一方,ビッグバン理論のような進化宇宙論では, 宇宙の歴史のある時期になってから銀河は生まれる. できたての頃の銀河は現在の銀河とは異なるだろう. だから遠方の銀河と近くの銀河は違って見えるだろう」
それでは観測結果はどうであったろうか? きわめて遠方を見ると, 銀河になるはるか以前の光とプラズマだけの世界が観測されたのである. これがペンジャスたちの2.7k宇宙背景黒体輻射である. これを境にしてビッグバン理論は多くの支持を得るようになり, 定常宇宙論は衰退していった. 我が国ではおそらく95%以上がビッグバン理論の支持者であるが, ヨーロッパでの支持率はもっと低い. 定常宇宙論を支持するわけでもないが, ビッグバン理論でもないという考えの人が結構いる.

9.中古アンテナで立証したビッグバン理論 (目次に戻る)

ベル研究所のペンジャスとウィルソンは 宇宙背景黒体輻射を1964年〜65年の観測により発見した. 使用したアンテナは5m四方の開口面積しかない 中古の反射型ホーンアンテナである. ちょうど衛星実験の役目を終えたばかりであった. 彼らは天の川の精密な電波地図作りを行う予備観測にこのアンテナを利用した. それは絶対測定とよばれる特殊な精密観測である. アンテナは大型になるほど感度は高くなるが, アンテナ面に入射した電波のうち, 一体何十%が本当に受信機に導かれるかは測定が難しい. ホーンアンテナはそれに比較して, 理論的計算と実測値がよく合う. そこでホーンアンテナで特定の電波天体をまず観測して, 絶対的な電波強度をまず求める. 次にその天体を標準電波源として大型アンテナで観測し, その出力を測ってアンテナの損失が何十%あるかを求める. その係数を知っていれば, 後は大型アンテナだけで観測しても天体の正確な電波強度がわかる.
ペンジャスなどがホーンアンテナで行ったのは,こういう絶対測定である. 電波天文の研究者でもめったにこういう測定は行わない. 手間がかかる割におもしろい観測結果が得られないからである.
実際の絶対測定はさらに面倒である. ホーンアンテナから受信機までのいろいろな部分でのもれ込みや損失, 反射を精密に測る必要がある. こういう測定でよく使われるのがアンテナ温度という量である. 温度とはいってもこれは受信機にはいるマイクロ波のパワーを表している. だから「2k+3k=5k」といった計算を行う. 3k宇宙背景黒体輻射といわれるのも, 絶対温度3kの黒体からの輻射のパワーということである.
彼らは絶対測定により銀河面からもっとも離れた部分の, もっとも弱い背景輻射の強度を測ろうとした. これがわからないと, 天の川の電波観測を行って地図を作ろうとしても 基準がゼロかどうかわからず大きな不安を残す. 海水面を知らずに地図を作るようなことになる. 予想されるパワーは観測波長7cmで0.1k以下のはずである. ところが予想に反してはるかに強い電波が受信できた. それから1年にわたって,考え得るすべての原因が調べられた.
  1. 地球大気の輻射分を少なく見積っていないか? →これはいろいろな仰角(水平からの角度)で, 大気を通ってくる電波の強度を測ればわかる.
  2. 人工電波ではないか? →ニューヨークに向けても変化しない.
  3. 我われの銀がからの輻射ではないか? →全天から一様にやってくる.
  4. 個々の電波源の総和として受信しているのではないか? →ビームが太いのでもっとも強い電波源に向けても7kである. 3kは強過ぎるしどこからもやってくる.
さらにアンテナのつなぎのチェックや, 住み着いたハトの置きみやげの掃除, アルミテープによる目張り,などを行ったが 3.5kという出所不明の電波は減らなかった.
ある日,ペンジャスはマサチューセッツ工科大学(MIT)の バーク(B.F.Burke)に説明のつかない電波雑音のことを話した. 彼は,「プリンストン大学のピーブルス(P.J.E.Peebles)が 宇宙の輻射について理論的な研究をしている. ディッケ(R.Dicke)に聞いてみろ.」という. ディッケたちのプリンストン大学のグループはベル研究所を訪れ, 測定の正しさを確認した. プリンストン大学のグループは 宇宙背景輻射の起源に関する理論の論文を急いで書き, ベル研究所の背景輻射の測定の論文と並べて 天体物理学ジャーナルに載せることにした. ペンジャス,ウィルソンの論文は 「4080メガサイクルでのアンテナ温度の過剰を測定」というもので, 正味1頁の短いものである.彼らは測定結果のみを書き, その解釈に立ち入ることは避けた. これをきっかけとして, ビッグバン理論に基づくおびただしい数の宇宙論の論文が書かれ, 彼らの観測結果の重要さはゆるぎないものとなっていった. 1978年ペンジャスとウィルソンはこの業績によりノーベル物理学賞を受賞した.

10.宇宙背景輻射の起源 (目次に戻る)

ペンジャス、ウィルソンによって発見された3k輻射 (現在では測定精度が上がって2.7k)が、 ビッグバン宇宙論の証拠になるというのはなぜだろうか? それにはまず、ハッブル膨張する宇宙における光の伝わり方を 知る必要がある。 パンタグラフという製図用具がある。 それに銀河をつけて横から押すと、 遠くの銀河ほど大きな速度で遠ざかる。 距離と速度が比例しており、ハッブル膨張になっている。 このパンタグラフに乗った銀河が無限に続いているのが この宇宙のモデルになる。 たたんであったパンタグラフを広げ始める瞬間がビッグバンである。 どの銀河から他を見ても互いに距離に比例した速度でにげていく。 またどの銀河が宇宙の中心になるということもない (図20)。
前に出てきた宇宙の半径(ハッブル半径)もそれぞれの銀河について 定義できる。 ビッグバンからその時までの時間の間に光がやってこられる範囲である。 時がたつにつれてその範囲は高速で広がり、 時がたつにつれてその範囲は高速で広がり、 一方で重力の影響により銀河同士の膨張速度はしだいに遅くなるから、 それぞれのハッブル半径の中にはより多くの銀河が取り込まれる。 宇宙の半径は銀河ごとに別々に定義されても、 共有部分が増えていく。
このような状態のもとで、 ある銀河から輻射された光が他の銀河にどのように届くかを考えてみよう。 図20 のBとCの銀河から出た光がAに届く場合を考える。 Aから見るとCはBの2倍の速度で遠ざかっている。 だからCとBが同じ波長の光を輻射したとしても、 Aが受け取る波長はちがう。 Cからの光の波長の方が長くなる。 これはドップラー効果としてよく知られている現象である。 図17 にあった銀河のスペクトルの赤方偏移はこうして生じたものである。
2.7Kの宇宙背景黒体輻射も同じようにハッブル膨張による赤方偏移を受けている。 ただ波長の伸ばされ方はずっと大きくて1000倍にもなっている。 輻射された時には宇宙は現在の1000分の1の大きさであった。 ビッグバンから20万年しか経っておらず、 宇宙は大部分が陽子と電子からプラズマで満たされていた。 ビッグバン以来、宇宙膨張にともなって温度は下がり続けていて、 およそ4000kを切る頃であった。
この温度は特別の意味をもっている。 これ以下になると、電子の運動エネルギーが 水素原子の結合エネルギーより小さくなり、 それまで自由に飛びまわっていた電子は陽子と結びついて水素原子になる。 こういうことが宇宙全体でほぼ同時に起きる。 電子の数が急激に減ってしまう。 それまで4000kの黒体輻射の光子は電子を相手に衝突を繰り返していたが、 それが急に宇宙からほとんど消えてしまえばまっすぐ行くしかない。 こうして自由になった光子は宇宙をどこまでも進む。 我われが観測する宇宙背景輻射の光子は、150億年の旅の中で初めて電子と出会い、 観測装置にとらえられたのである。 その間に宇宙は1000倍に膨張し、到着すべき相手である地球のアンテナは 光速の99.999%で逃げていた。 もちろん4000kのプラズマから光子が輻射された頃は、 地球もアンテナもまだ生まれていない。 しかし、やがて地球やアンテナになる素材は同じようなプラズマとして 1500万光年の近くにあったはずである。 光子が旅をしている間に、地球や人間、アンテナはつくられたのである。 もし地球が誕生した頃(今から50億年昔)に宇宙背景輻射を観測したなら、 宇宙の大きさは現在の3分の2しかなかったので、 2.7kでなく4.1kになるだろう。
電子が陽子と結合し、光子の衝突相手がなくなるのは宇宙全体で同時に起こる。 これを宇宙の晴れ上がりの時期という。 しかし観測者には、この時期からの時間内に光速で到達できる範囲だけが 晴れ上がっているように見える。 境目は黒体輻射の壁として見え、黒体輻射をするプラズマ自体は それより遅いハッブル膨張の速度で後退する。 黒体輻射の壁の定義の仕方はハッブル半径の定義の仕方と同じである。 ビッグバンから晴れ上がりの間に放出されたニュートリノは 黒体輻射の壁の向こうからもやってこられるが、 ハッブル半径の向こうからは侵入できない。

11.光速度の有限性 (目次に戻る)

光速度は物理学で特別に重要な意味をもっている。 時間や空間は物理学の体系を構成する上で もっとも基本的な枠組みのように見えるが、 光速度はさらに基本的な量である。 その証拠に特殊相対論では、 どの座標系においても光速度が同じ値をとるように、 各座標系ごとに異なった時間と空間を割り当てる。
光速度が有限であるために、宇宙空間は一種の記憶装置の役割りをする。 大マゼラン雲に出現した超新星1987Aの写真をとると、 超新星の回りに二重のリングが見える。 これらのリングは超新星からの光が、 超新星と地球の間に存在するシート状のチリに混乱されて 見えている光のエコーである。 これらは直接光より遅れて地球に到達するので、 観測できなかった日のデータを後日とりなおすこともできる。
光速度が有限であるために、 現在観測される宇宙の姿とこの瞬間の宇宙の姿は一致しないことを前に述べた。 背景輻射の壁というのも、 この瞬間には宇宙のどこにも存在しないのに 光速度が有限なために現れてくるものである。 図21 は現在、我われが見る宇宙の姿である。 遠方ほど昔の姿を見ていることになる。 電磁波で見えるのは宇宙背景輻射の壁までである。 ニュートリノを使えばビッグバン直後一秒の所まで見ることができる。
宇宙はどこでも同じような構造をしているから、 現在観測している宇宙の果て=宇宙背景輻射の壁の所にも おそらく知性を持った生物がいるだろう。 そして我われのほうをマイクロ波あるいはニュートリノで 観測しながらつぶやいているかもしれない。 「ビッグバンから20万年の若い宇宙の姿があそこに見える。 しかしこの瞬間にそこへ行ってみれば、 すでにビッグバンから150億年が過ぎている。 我われのような知性を持った生物が現れていて、 この瞬間にもマイクロ波あるいはニュートリノで観測しながら つぶやいているかもしれない。 「ビッグバンから20万年の若い宇宙の姿があそこに見える。 しかしこの瞬間にそこへ行ってみれば、 すでに我われのような知性を持った・・・ 「ビッグバンから20万年前の若い・・・ 「ビッグバンから・・・ 「・・・

12.ペンジャス、ウィルソンの14年前に日本で (目次に戻る)

ペンジャス、ウィルソン発見の14年前1951年に、 我が国でも宇宙背景輻射の観測が精力的に進められていた。 まったく新しい研究は、しばしば小さな研究室から生まれる。 予算規模や人員を大きくすれば、 それに比例した研究成果が上がるというわけではない。 要はすぐれたテーマを選択する見識と、 そのテーマを集中して追い続けられる環境である。 特に後者が難しい。 大規模な研究所は施設面ですぐれている反面、 ひとりがいくつものプロジェクトに参加したり、 会議や雑用なるというマイナス面もある。 こうなると頭の中を一番重要な研究テーマが占有時間が短くなる危険性がある。
ポアンカレの「科学と方法」におもしろい話がある。 彼はフックス関数の定理の証明を何週間も考え続けていた。 ある日、乗合馬車のステップに足をかけた瞬間にその証明を思いついた。 しかしそれは何週間にもわたり、 頭の中で繰り返された試行錯誤のたまものである。 その瞬間だけを特別視してはならない。 それまでの熟成の期間も含めて評価すべきである、というのである。 アインシュタインが1905年に3つの大論文をたて続けに書くことができたのも、 それまでの成果がその年に現れたとみるべきである。 1905年当時の物理学の最先端の問題で占められていた。 アインシュタインは、さらにその後10年間にわたって 重力場中での光の運動を考え続けた。 その過程で必要な微分幾何学も新しく勉強した。 改良を重ねて、それが1916年の一般相対論となって実を結んだ。 1905年の特殊相対論から、 実に10年以上も同じテーマを追い続けていたのである。 そしてこの理論の上にビッグバン理論は組み立てられることになる。
さて我が国で行われた宇宙背景輻射の観測の舞台は、 愛知県豊川市の郊外にある名古屋大学空電研究所である。 まわりは田んぼで、松林に囲まれた旧豊川工廠跡地に1949年につくられた。 太陽電波観測を始めた田中春夫博士(1986年没)は、 アンテナを天頂に向けたときどれだけの強さの電波が入ってくるのかを測ろうとした。
1950年頃、通信工学分野の人びとの間では 空から雑音電波がやってきて通信の邪魔をするという常識があった。 特に数百メガヘルツ(波長数10センチ〜数メートル)といった 低い周波数では天の川からの電波が強く、 銀河背景輻射としてよく知られていた。 電波天文学の創始者のジャンスキー(C.Jansky)が1932年に発見したのは、 この銀河背景輻射である。 ジャンスキーの動機は通信の妨害源をさぐることであった。 ちなみにジャンスキーもベル研究所に属しており、 最初の銀河電波のとらえた装置は ペンジャスたちのホーンアンテナから近い所にある。
さて田中春夫博士が測定したのは、もっと短い波長で、8センチである。 当時の話を1978年に伺ったことがある。 その時のノートから当時を再現してみよう。 「1951年当時、通信工学のひとは、 アンテナを天頂に向けると0Kだと我われがいうと、"へー"といった」。 8センチの波長における天頂の温度が0度から5度の間という結論を聞いて、 通信の人はその静かさに驚いたのである。 「太陽電波の強度を正確に決めるには空の温度を知ると便利なのだが、 その頃カナダのコビントン(A.E.Covington)は50Kといっていた。 私は50Kは高過ぎると思い、それで測定しようと考えた。 コビントン自身は独自に測定していたのだと思う」。 当時は低周波の銀河背景輻射は知られていたが、 高周波の熱的な背景輻射は有るか無いかだれも知らなかった。
測定作業は、物資のない時代で大変なことであった。 ホーンアンテナを手づくりでまず作る。 空の温度と比較するために、 カーボンとセメントをまぜたものを摂氏300度に熱し、 そこからの電波を導波管で受信機に導いた。 温度は、熱電対で測り、 メーターを見ながらヒーターのスライダックを調整した。 導波管の途中は熱が受信機に伝わってこないように金網にした。 目が細かければ波長8センチの電波は洩れない。
こうして装置を完成させ、300度Cのカーボンからの電波、 それを常温にした時の電波、空の温度と交互に測定した。 春から始めて10月まで続けた。 1日1回の測定でヘトヘトになったという。 測定の後は松林の中に作ったドラムカンの野天風呂で汗を流した。 当時は受信機も悪かった。 電源も昼間は53ヘルツで、夜中は61ヘルツという具合だったから、 その影響で測定のレベルが変動する。 しかしともかく天頂の温度として、0Kから5Kの間のはずだという結論を得た。 コビントンに知らせ、研究所の年報にも載せた。 当時を振り返って、 「あの時、3Kまで測るのは技術的に無理だった。 アイソレーターもなかったし、電源もふらついたからね。 ベル研究所の話も、最初に聞いた時は本当かなと思った。 近くにガモフもディッケもいなかったので、 それ以上観測はやらなかったが、 もしやっていれば14年はかからずに測定できたと思う」 と述べている。
当時日本では、すでに林忠四郎博士による宇宙初期の元素合成の理論があった。 これはガモフの理論に修正を加えるもので、αβγ-林の理論とよばれている。 情報の交流が現在ほど良くなかったことが惜しまれる。
ベンジャス、ウィルソンも田中博士も、 まさか宇宙の果てを見ているとは思っていなかった。 宇宙の大きさと光速度の遅さのためにこんな大昔まで見えるというのは、 言われてみればわかってもイメージとして最初に持つのはなかなか難しい。 もし光速度が無限大ならば見えるのはその瞬間の宇宙の姿なので、 遠くを見てもどこも同じ風景が見えるはずである。 実際には光速度が有限なため、遠方には昔の宇宙の姿が見える。 これは前に見たとおりである。

13.残された難問――銀河ができない (目次に戻る)

ガモフのビッグバン理論は始まりのある宇宙論である。 始まりの前に宇宙は存在しない。 前に述べた特異点定理が数学的に証明されたので、 一般相対論を信じる限りそうなる。 ガモフの時代には、本当の宇宙の始まりの瞬間までは深刻に考えなかった。 ビッグバンの前は一時代前の宇宙が収縮してくる時だろうぐらいに考えていた。 しかしペンローズたちの特異点定理は 一回限りの宇宙しかありえないと主張している。 宇宙の始まりがその前の宇宙につながっているという淡い希望は否定される。 密度無限大では、 微分もできないようなチョン切れた時間や空間が出てきてしまうのだそうだ。 それでは宇宙はどうやって生まれたのか。 物理学者たちは、無から量子論的なゆらぎによって生まれたと考えている。 無から生まれるのだから、 この世のあちこちで新しい宇宙が今も生まれてよいことになる。 しかし、そのうち立派に成長して我々の宇宙のようになれるのは きわめてわずかであるという。 佐藤勝彦博士たちのインフレーション理論は、 宇宙が今ある姿に成長できる物理的理由を 素粒子の大統一理論に求めたものである。 ガモフのビッグバン理論は元素合成の時代まで宇宙をさかのぼった。 インフレーション理論はさらにさかのぼって素粒子の形成時代を問題にしている。
ビッグバン理論は宇宙背景輻射によって広く受け入れられるようになったが、 未解決の問題もある。 前に見たように、現在の宇宙には銀河や超銀河団のような構造がある。 つまり一様な宇宙ではない。これらの構造は宇宙の年齢、 150億年の間に形成されたはずである。 重力で引き合って現在のような構造ができるには、 宇宙の初めの頃にも多少凸凹がないといけない。 2.7K宇宙背景輻射はビッグバンから10万年頃の プラズマの温度密度分布を見ていることになるから、 そこにゆらぎの凸凹が見えるはずである。 世界中でそれを探しているがなかなか観測が難しい。 主な原因は地球大気の水蒸気の出す電波が時々刻々変動して、 じゃまをするからである。 理論家の予想するレベル、ぎりぎりの観測が各国でしのぎを削って行われている。 何百時間もずっと空の一点を観測するのである。 早稲田大学の私どもの研究室では、 ちょっと変わった観測方法でこの背景輻射のゆらぎを捜す準備をしている。 64台の小型電波望遠鏡を束ねて、その出力を超高速のデジタルレンズで処理する。 その速度はスーパーコンピュータの70倍以上である。 要は大気中の水蒸気が変化する前に像を取り込んでしまうことである。 この装置は毎秒2000万枚の像の取り込みが可能なので、 微小なゆらぎがあれば見つかるはずである。
こんな装置がともかく作れるようになったのは テレビやビデオの技術が発達したおかげである。 64台のアンテナにはそれぞれ受信機が1台ずつ必要になるが、 衛星放送用のアンテナに付いている受信機を改造して使う。 ねじを外して基盤を改造し、周波数をずらす。 またデジタルVTR用に開発された高速のデジタル素子を 多数並列につないで動かすと、 スーパーコンピュータをはるかにしのぐスピードになる。 小さな研究室でこんな装置のつくれる日本の現状は有難いことだと思う。 足りない部品はすぐ秋葉原で手にはいる。 電波天文学の先進国、 オーストラリアの電波天文研究者と話すと日本をうらやましがる。 彼らは望遠鏡の受信機がこわれると日本やアメリカに修理に出す。 そうすると半年から二年かかってしまう。 それに対して我われは一時間以内に手に入れることができる。 工業生産技術の恩恵により こうした装置が手軽につくれる環境にあるというものの、 我が国の研究体制に問題がないわけではない。 これまでの話に出てきたような、 生きのいい研究をやれる条件とは何だろうか? 単純化すると、研究における三つの時期をはっきり区別することだと思う。 すなわち、 (1)長い試行錯誤の期間、 (2)開化する時期、 (3)収穫として終了する時期、 の三つをはっきり区別することである。 (1)の時期に必要なのはポアンカレやアインシュタインの例に出てきた、 研究テーマに集中できる環境である。 少額であっても確実な研究予算があり、 雑用にわずらわされず身分が不安定でないことである。 貧乏でもいいから自由であることが必要である。 我が国の終身雇用制度は研究の活性化にとって マイナスだという意見があるが、 研究成果が必ずしもはでに現われないこの時期にはプラスに働く面もある。 (2)の開花期における、我が国の基礎科学の条件はきわめて悪い。 必要な予算がつくのに長い時間がかかり、その額も少ない。 民間の技術開発における投資のすばやさ、その規模とはよい対照をなしている。 ひとたび何をやればよいかが誰の目にもはっきりすれば、 世界中で競争が始まる。 瞬発力がものを言うのだから 数年に一回の科学研究費を待っている間に 外国に先を越されていしまうこともある。 (3)の収穫・終了期のあり方はきわめて難しい。 研究は始めるのは簡単でも止めるとなると、なかなか決心がつかない。 我が国の終身雇用制度がマイナスに働くのも、主としてこの時期である。 少なくとも巨大な予算を十年以上にわたってつけ続けるような場合は、 慎重な判断が必要だろう。
新しい研究は宇宙を誕生させたゆらぎのように、どこに発生するかわからない。 地方の小さな研究室で無名の研究者により、 まったく新しい研究分野がこの瞬間にも誕生しているかもしれない。 それを大きく育て上げる方策がこれからは大事になる。 150億光年の向こうでも今、この瞬間に、 こんな議論をやっているのかもしれない。
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本文は東京電力株式会社より発行された雑誌``ILLUME''1989年Vol.1 No.1 pp.22-40 に掲載された記事をHTMLに変換したものです.